2016年5月31日火曜日

病院よりこんにちは


病院よりこんにちは

4年 岩田拓也




みなさんこんにちは。
FC東京U-18出身、
明治の切り込み隊長こと岩田拓也です。

私事ですが、先日のリーグ戦で途中出場後
わずか5分で相手ゴールキーパーと激突し
右側の鎖骨を骨折して手術をしました。
現在入院中の為病院からお届けします。

このような機会はなかなか無いので、
4年目にしてまだまだ知られていない
岩田の秘密をお伝えしていきたいと思います。

まずは、岩田の生誕秘話について書きたいと思います。
私は1994年の7月14日に生を受けました。
しかし、そこでなかなか起こりえないような事が起こります。
私は逆子で帝王切開で生まれる事になりました。
そして母親のお腹を切っていよいよ生まれるという時、
なんと母親のお腹と共に私も一緒に切られたのです。
その時の医者の言い分が
「皮膚が薄すぎた」だそうです。
幸いな事にお尻の少し上あたりなので何事もなかったのですが
30針ほど縫い今でも大きな傷が残っています。
生まれながらに何かもっていたんだと思います

もう1つの秘密は、私は純粋な日本人では無いという事です。
私はヨーロッパの混血なのです。
そうです。本当です。なんと

ロシア人の血が1/16入っているのです。
ほぼ入ってないじゃないか?
いえいえ、そんな事はありません祖母がクォーターですよ?
曽祖父か曽祖母がハーフですよ?
完全に入ってます。
この事をなんと言うかと調べたところ、
ロシアのワンシクスティーンスと言うらしいです。
ワンシクスティーンス岩田です。


岩田の知られざる新たな魅力を知ってもらえた所で
締めに入りたいと思います。

リーグ戦前期が残り2試合で首位に立っているこの状況で、
試合中にチームに迷惑をかける形で怪我をして離脱する事になり申し訳ないし、
正直悔しい気持ちで一杯です。
少しでも早くピッチに戻って、
16年間追ってきたプロサッカー選手になるという夢を叶えるために
努力をすると共に
今は四年生としてサッカーで貢献できない分、
裏方としてチームを支えていきたいと思っています。

まずは前期最終節の日本体育大学戦の集中応援を
集中応援係として、成功させたいです。
集中応援係は少しでも多くの方に
明治大学体育会サッカー部を応援していただく為に
企画の考案から、広報活動、また試合当日の運営にいたるまで、
学生主体ですべての事を行っています。

当日の6月11日は皆さんに少しでも楽しんでもらえるように
多くの催し物を準備しているので
是非とも味の素フィールド西が丘に足を運んで頂き、
ピッチで必死に戦う選手たちをスタンドで一緒に応援して頂けたら幸いです。
よろしくお願いします。


以上4年岩田拓也でした。

P.S.部員が誰もお見舞いに来ません。


2016年5月28日土曜日

住めば都


住めば都

1年 小野寺健也






これまで10年以上サッカーをやってきたけれど、初めての寮生活を明治大学体育会サッカー部で送ることになった。入寮してもうすぐで4ヶ月が経とうとしている。初めての寮生活ということで入寮当初は正直不安の気持ちしかなく、なかなか寝付けない日も多々あった。朝早くご飯を食べようとしたら、ある物体が床をものすごいスピードで走ってったこともあった。そして何より自分の部屋がベットの分しかないというのに驚いた。こんなところで生活できるのかと思っていたし、自分が想像していた寮とははるかに違っていた。
しかし、住めば都。寮生活にも慣れ始め、今ではベットの上が1番落ち着く。狭い範囲だけど自分なりにアレンジできるし、リラックスできる。この環境で数多くのすごい先輩も生活していたとなると偉大なことだと思う。これからたくさんの壁にぶち当たると思うけどこの寮で生活できることに感謝、誇りを持ち生活していきたい。

2016年5月20日金曜日

今までとこれから



「今までとこれから」

2年 岩武克弥

 明治大学体育会サッカーに入部して一年以上がたちました。一年次ではなかなか試合に出られずとても悔しい思いをしました。また私生活では学校やサッカー部の仕事と慣れるのがとても大変な一年間だったと思います。
 二年になり自分にも後輩ができました。自分がお世話をする相手はジュビロ磐田ユースの森下龍矢。
会った第一印象は元気がいいやつ。入寮してすぐに先輩からもいじられるようになり愛されキャラとしてここまでやっています。

 二年の目標は試合に出続け数字に残る活躍をしていきます。
また私生活では一年の頃より余裕ができると思うので時間を無駄にしないよう勉学はもちろん、たくさんのことにチャレンジしていきたいと思います。


2016年5月14日土曜日

博多の男

博多の男

3年 牛之濱容





博多の男


『牛之濵容』初対面でこの名前を言い当てることができた人は過去に1人もいない。きっとこれからもそうだろう。


「うしのはま いるる」このハプニングのような名前を抱え20年の人生を歩んできた。3歳上の兄の名は「うしのはまたく」という名字は別として名前はとてもシンプルである。そのせいか、私の親は兄が普通すぎた分のつけを弟である私の名前に込めたのだと私は勝手に解釈している。普通ならば名字の牛之濵だけでも珍しいはずなのに、それに満足しなかった親はいるるという名を私に授けた。一応、いるるという名前の由来を聞いたことがある。その由来というのは「寛容」という熟語から容(いるる)をとったものだということが分かった。いたって真面目でしっかり考えた挙げ句、容(いるる)と名付けたのだと思い安心したのを今でも覚えている。しかし、ここで一つだけ疑問がうまれる。容という漢字をどうしているると呼ぶのかという事だ。いるると打ち込み、変換キーを押しても当然、容という漢字はでてこない。その疑問というのは名付けた親でさえも首をかしげる事しかできない。


「うしのはまいるる」という名前で歩んできた私の人生は決して順風満帆ではなかった。物心がついた時、自分の名前に違和感を感じた当時の私は頭を抱えた。私が小学校に入学して間もない頃、私の名札を見た高学年の人たちに渡り廊下で爆笑された事もあった。中学生になり思春期を迎えた私は自分の名前を物凄く恥ずかしいと思った。いわゆる、コンプレックスというやつだ。「つよし」や「ひろと」などの男らしい名前に憧れを抱いた。しかし、思春期を過ぎた私は「牛之濵容」という名前が大好きになっていた。環境も変わり、なにより自分の中での考え方が大きく変化した。「牛之濵 容」という名前はおそらく世界に一人だけの名前で、″唯一無二″の存在であると確信したのだ。


私の呼ばれ方は、人それぞれである。基本はいるると呼ばれるが、イントネーションで2種類に分かれる。いるる⤴︎といるる⤵︎だ。これに関してはどうでもいい。クセのある人は、私のことを牛くんと呼ぶ。意外と嫌ではない。しかし、もっとクセのある人は「のはま」と呼ぶ。「うしのはまいるる」という文字なかで一番スポットライトがあたることのない「のはま」という部分をピックアップしてくるのだ。いるるでもなければ牛くんでもない。「のはま」である。


明治大学体育会サッカー部に入部してからというもの、もうすっかり3年生だ。1年生と2年生では試合に出場する機会も少なく、このチームに貢献できていないのが現状である。だからこそ今年、紫紺のユニフォームを纏い、今まで培ってきた明治スピリットをピッチ上で体現しなければならない。明治大学体育会サッカー部にとって私が″唯一無二″の存在であると確信させるその日まで ー 。

2016年5月9日月曜日

優勝への道

 
優勝への道
 
4年 伊池翼
















 
「おれは必ずこのチームで優勝がしたい」


2013年2月2日。入寮の日がやってきた。
沢山の荷物を車に乗せ、母親の運転で八幡山の寮まで向かった。
予定よりも早く着いてしまい、
芦花公園に車を止めて時間になるまで待っていたあの瞬間を今でも覚えている。
幸いな事に同部屋の同期とはすぐに打ち解けられたが、
毎週のように実家に帰っていたあの時から、あっという間に4年目に突入した。


部活動を初めて経験した自分にとっては、戸惑う事も少なくはなかった。
大学に入って初めて、高校サッカーの凄さというのも肌で感じる事が出来た。
色々な経験を乗り越えて来たからこそ、タフな精神があるのだと。

もちろん、ユース出身の選手もハイレベルの中でプレーしてきたという思いはあるだろう。
どちらが良いというのは無いと思うが、そこに「環境」の差を少し感じた。
それぞれの環境でトップレベルでプレーしてきた選手たちと一緒にやれる環境は、
ここにしか無いと思えるような環境が明治大学体育会サッカー部にはあった。

 
大学4年間は本当の意味で自分と向き合う時間であり、
だからこそ成長できる時間だと思う。
日々の過ごし方で変わるというのは身に染みて感じた。


その中で、なんといっても同期の仲間たちに出逢えた事が
自分にとってはこの大学生活での財産である。
1年の時から何度も何度もミーティングを重ね、ぶつかり合った。

ある時、なぜ仕事をするのかというのを全員が理解した瞬間があったと思う。
そこから1つになれたように自分は感じた。
仕事をしている時期は本当に色んな経験をした。
もちろん辛いことや苦しい事もあったが、自分たちは
「サッカーに影響を与えちゃいけない。サッカーで見返してやろう。」
という思いが強かったと思う。
何でも言い合えるような仲間が出来た事は本当に幸せな事だと感じる。

 
だからこそ「このチームで優勝がしたい。」
この3年間目の前でタイトルを逃し続けてきた。

1年の時の総理大事杯は、毎試合負ける気がしなかった。
全ての試合で先手をとり、決勝でも2点のリードがあったが、
流通経済大学に2-3の逆転負けを喫した。

2年の時は、天皇杯にも出場し、アミノバイタルカップの悔しさをバネに、
後期のリーグ戦で巻き返したがあと一歩のところで優勝に手が届かなかった。
チーム一丸となって戦ったインカレでもまさかの結果に終わってしまった。

そして昨年。多くのタレントが揃い、常に優勝候補とされてきた。
総理大臣杯では、準決勝で流通経済大学に借りを返したが、
またしてもあと一歩のところで優勝することはできなかった。
リーグ戦でも2年連続の2位に終わった。

気付けば、ラストシーズンになっていた。
今年は何としてでも優勝がしたい。
明治大学体育会サッカー部がもう1つ成長するにも、優勝が必要になる。
4年間積み上げてきたものを優勝という形で証明したい。

そして、今まで支えてきてくれた人達への感謝の気持ちを優勝という形で表したい。
その為に、この先も隙を作らずチームが1つとなって
全員で毎試合に臨めるような準備をしていきたいと思う。

最後にもう一度言う。

「おれは必ずこのチームで優勝がしたい」