2016年5月14日土曜日

博多の男

博多の男

3年 牛之濱容





博多の男


『牛之濵容』初対面でこの名前を言い当てることができた人は過去に1人もいない。きっとこれからもそうだろう。


「うしのはま いるる」このハプニングのような名前を抱え20年の人生を歩んできた。3歳上の兄の名は「うしのはまたく」という名字は別として名前はとてもシンプルである。そのせいか、私の親は兄が普通すぎた分のつけを弟である私の名前に込めたのだと私は勝手に解釈している。普通ならば名字の牛之濵だけでも珍しいはずなのに、それに満足しなかった親はいるるという名を私に授けた。一応、いるるという名前の由来を聞いたことがある。その由来というのは「寛容」という熟語から容(いるる)をとったものだということが分かった。いたって真面目でしっかり考えた挙げ句、容(いるる)と名付けたのだと思い安心したのを今でも覚えている。しかし、ここで一つだけ疑問がうまれる。容という漢字をどうしているると呼ぶのかという事だ。いるると打ち込み、変換キーを押しても当然、容という漢字はでてこない。その疑問というのは名付けた親でさえも首をかしげる事しかできない。


「うしのはまいるる」という名前で歩んできた私の人生は決して順風満帆ではなかった。物心がついた時、自分の名前に違和感を感じた当時の私は頭を抱えた。私が小学校に入学して間もない頃、私の名札を見た高学年の人たちに渡り廊下で爆笑された事もあった。中学生になり思春期を迎えた私は自分の名前を物凄く恥ずかしいと思った。いわゆる、コンプレックスというやつだ。「つよし」や「ひろと」などの男らしい名前に憧れを抱いた。しかし、思春期を過ぎた私は「牛之濵容」という名前が大好きになっていた。環境も変わり、なにより自分の中での考え方が大きく変化した。「牛之濵 容」という名前はおそらく世界に一人だけの名前で、″唯一無二″の存在であると確信したのだ。


私の呼ばれ方は、人それぞれである。基本はいるると呼ばれるが、イントネーションで2種類に分かれる。いるる⤴︎といるる⤵︎だ。これに関してはどうでもいい。クセのある人は、私のことを牛くんと呼ぶ。意外と嫌ではない。しかし、もっとクセのある人は「のはま」と呼ぶ。「うしのはまいるる」という文字なかで一番スポットライトがあたることのない「のはま」という部分をピックアップしてくるのだ。いるるでもなければ牛くんでもない。「のはま」である。


明治大学体育会サッカー部に入部してからというもの、もうすっかり3年生だ。1年生と2年生では試合に出場する機会も少なく、このチームに貢献できていないのが現状である。だからこそ今年、紫紺のユニフォームを纏い、今まで培ってきた明治スピリットをピッチ上で体現しなければならない。明治大学体育会サッカー部にとって私が″唯一無二″の存在であると確信させるその日まで ー 。

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