2016年7月23日土曜日

初手術

「初手術」

1年 川上優樹



6月22日は自分は初めて手術をしました。肩の怪我を治すための手術でした。
最初は手術するかどうか悩みましたが、同じ怪我をしたことのある先輩や、チームのトレーナーさんの話を聞いて手術する事を決心しました。
そして無事手術を終え、今はリハビリをしています。ただでさえ上手くもない自分が怪我のために長期離脱をして練習が出来なくなり、周りとのレベルはどんどん離れてしまう、と不安でいっぱいでした。
けれど同期や先輩が「がんばれよ!」「はやく戻ってこい」と声かけてくれました。その声があったからこそ1日でも早くピッチに戻れるようにリハビリを頑張ろうと思えました。

2016年7月14日木曜日

親に恩返し






2年 押本祐輔


私はこの明治大学に入学するにあたって、誰よりも苦労した自信がある。
私は1年間浪人した。今やどこへ行っても浪人というのはいじられるが、浪人というのは皆の想像を絶するものである。

私は高校の卒業式の前日に予備校の説明会を友達と周った。私は駿台横浜校に通うことを決めた。高校の卒業式の日には皆大学の話をしていて、凄く羨ましかった。浪人生で集まったりして皆で「俺達は予備校という学校に1年間人生の修行しに行くだけだ」などと笑って話して強がっていたが、実際笑えない。笑
浪人しても3割は成績が上がり、4割は成績がそのまま、3割は成績が下がると言われていた。だから、私はこの一年間は全てを勉強に捧げ、終わってからたくさん好きなことをすると覚悟を決めた。

毎日必死に勉強したが、模試の結果は伸び悩んでいた。滅多に泣かないが、模試の結果が悪くて家帰って大泣きしたこともあった。しかし、親は怒ったりはしなかった。毎日ひたすら笑顔でいてくれ、いつも励ましてくれていた。

私が、一番刺激を受けたのは、夏にサッカーの早慶戦を観に行った時だ。その時、初めて大学でサッカーをやりたいと思い始めた。私は慶応という明確な目標ができたことで、またさらに猛勉強し始めた。

いざ、センター試験。自信はあったのに英語の試験で指が震えた。頭が真っ白になった。勿論、センター模試よりも全ての教科が悪かった。そこでも家族に助けられた。
大丈夫だよ!一般試験が本番だ!と励まされ、残り1ヶ月にラストスパートをかけた。

1年間常に自分を信じ、妥協せず頑張った結果からか、2月に英語が一気に上がり、いざ受験。合格発表が次々に出て、MARCHの大学が決まり気持ちの余裕ができたが、慶応には受からなかった。ビリギャルにはなれなかった。笑 あの本のせいで、慶応SFCの倍率はめっちゃ上がっていた。私は明治大学に行くことを決め、浪人生活は幕を閉じた。

私は慶応に落ちた時点で大学サッカーを諦めた。慶応以外は全員スポーツ推薦だと思っていた。セレクションは自信がなかった。しかし、中学時代のチームメイトの3年長津から連絡が来て、一般生もいるし、浪人の人も1人いたし、練習参加してみれば?と声がかかった。この神の声がなかったら明治でサッカーやるなんて思ってもなかった。

今振り返るとサッカー部に入った後の方がきつかった。練習や仕事ときつい1年間だった。これで2年間も私は修行したことになる。笑 けれど、あの浪人生活に比べたら軽いもん。だって、大好きなサッカーを一番レベルが高いとこでやれているのだから。浪人で100万以上かかり、誰よりも親は自分にお金をかけ、いつも支えてくれた。今までの恩返しをするなら、リーグ戦で試合に出て活躍することのみ。私はその目標を果たさないとただの親不孝もの。

今まで培ってきた強いメンタルを武器に、日々の練習から1日1日成長しなければならない。その目標、気持ちを決して忘れず毎日の練習に臨み、ピッチで親に恩返ししたい。


2016年7月9日土曜日

総理大臣杯

「総理大臣杯」

3年 木戸皓貴

 


僕は去年の夏の総理大臣杯でサッカー人生初の大怪我をした。
今までに疲労骨折などは経験した事はあったが、膝の怪我、そして半年以上の離脱をしたのは初めてだった。

 

最初の2、3ヶ月は正直リハビリに集中できず、ただサッカーがしたくてたまらなかった。
リハビリの途中で外の空気を吸いに行ったり、トレルーの窓から練習を見たりという日々が続いた。
4、5ヶ月で少しずつ動けるようにはなったものの逆に少し動けるようになったからボールを触ってみたいとかボールを蹴りたいという気持ちが出てきてとてもメンタルコントロールが難しかった。

ジョギング許可が出て初めて走った時は何か不思議で自分の体じゃないみたいで先が見えなかった。
そして、リーグ戦開幕!チームの雰囲気は良くてチームも好調。
正直自分が入って活躍できるのか不安になる時もあったが、今出来る事をやろうと思い、まず練習や試合を見てイメージトレーニングをした。
守備の確認であったり、シュートのイメージも動画を見たりして取り組んだが、見れば見るほどサッカーがしたいという気持ちが大きくなりとてももどかしい日々が続いた。
練習も部分合流をし始めた時は自分のイメージは良いが体がついてこない、集中力が維持できないという課題が出てきた。
 
まだまだ自分ではない気がして素直に受け入れられない時もあったが、同じポジションである拓也くん、詩温くんがチームのために身を削って走っている姿を見て、自分のやりたいプレーではなく、チームの為にプレーするという思考に強く変わった。
そういう2人の背中を見てこの数ヶ月で成長できたんじゃないかなと思う。


 
この10ヶ月本当に苦しい日々だったが自分の体を知れて、向き合うという時間がとても多くて貴重な期間だった。そして、色んな人に支えられ怪我という大きな壁を乗り越えられたと思う。だから次は、自分がチームの為に結果を残して恩を返したい。


 

そして、去年の総理大臣杯は個人としても、チームとしても苦い思い出がある。
その屈辱は、総理大臣杯でしか晴らせない。だから大阪の地で暴れたい。


そして、このチームで日本一になる。