2016年10月28日金曜日

生きる


「生きる」


4年 早坂龍之介

こんにちは。
今回部員ブログを担当させていただきます
4年の早坂龍之介です。

私はこの1年間、「生きる」ことについて考えさせられています。
来年から社会へと足を踏み出す立場の中でふとした時に「なぜ生きるのか?」「なんのために生きるのか?」について今まで以上により深く考えるようになりました。
真剣に生きることを考えたときに、今の自分には生きる「目的」が見つかりませんでした。
将来お金をたくさん稼いで遊びたい、家庭を持って幸せに暮らしたい、皆なにかしら思っていることはあると思います。
しかし今の私はそのような目的がなにもないことに気付きました。
あれがしたい、これがしたい、これがほしいといった「欲」がありませんでした。

必ずしもそうだとは思いませんが私は
「目的」「欲」この2つが生きることの原動力になっているのだろうと思いました。
目的があれば欲も出てくるし欲があれば自然と目的もはっきりしてくるはずです。

サッカー面では、この2つは明確になっています。
今年度初めに決めた3冠を目的とし1年間取り組み、2冠を達成し、最後のインカレで優勝するという欲を持っています。

サッカーを通して得た経験を生かすとともに、その経験を人生にプラスに還元できるよう、残り約2か月のなかで自分にとっての「生きる」とはなにかを少しでも見つけていければいいなと思います。


2016年10月25日火曜日

環境、周りの人に感謝


『環境、周りの人に感謝』
1年 中川諒真




私は今自分が置かれている環境に感謝している。この18年間生きてきた中で1番きついといっても過言ではないくらい大変な時間を過ごしている。でも、自分自身が少しずつではあるが、成長していることを感じている。
明治大学サッカー部に入寮して約9ヶ月。あっという間に時間が過ぎていく。11日を大切に毎日成長していかないと4年間、何も出来ずに終わってしまうと思う。大学4年間を有意義に過ごすためにも自分次第で大きく変わる。

明治大学サッカー部に入れたのは周りの人のおかげである。浜松開誠館高校の仲間、監督・スタッフ、そして両親のおかげで私はこの環境に身を置くことが出来ている。自分に関わり協力してもらい、支えてくれた人が居るからこの厳しい環境の中でプレー、生活出来ている。感謝してもしきれないくらいだ。
いつも周りの人から支えてもらったり、与えてもらっていることが多い。なのでこの4年間で自分が成長した姿を見せたいと思っている。1日でも早く試合に出て、チームの為に闘える、走れる、勝たせられる選手になって活躍することで周りの人、支えてくれた人に恩返しすることができると思っている。

今の環境は本当に自分が成長出来る環境にある。確かに大変できつい時もある。そんな逆境こそ成長出来る。感謝の気持ち、謙虚さを忘れずにこれからも努力していきたいと思う。

愛媛から来た田舎者


「愛媛から来た田舎者」
1年 曽根晃太



私は愛媛.済美高校から東京.明治大学へと進学しました。

愛媛という田舎から大都会である東京への進学は少し不安がありました。初めて親元を離れ寮生活という今までと違った環境に馴染むことは簡単ではありませんでした。しかし、同じ年に入学した1年生や優しくしてくださる先輩方のおかげで馴染むことが出来ました。

私は16人部屋の一員として毎日楽しく過ごしています。いつも笑顔の絶えない16人部屋で過ごすことが出来てとても幸せ者です。
田舎から来たということもあって、方言でイジられバカにされることもありますが伊予弁をみんなにも知ってほしいと思っています。
例えば「やけん」という言葉です。これは東京でいう「だから」とほぼ同じ意味なのでぜひ使ってみてください。

ピッチ外ではとても優しく面白い先輩たちですが、ピッチ内では本当にたくましい存在です。創部以来初めての総理大臣杯優勝、関東リーグ戦史上最速優勝という素晴らしい成績を歴史に刻んだ先輩たちからたくさんのことを学び生かし少しでも早く私もこのチームに貢献したいです。このような素晴らしい環境でサッカーが出来ることは愛媛から応援してくれている家族のおかげです。感謝の気持ちを忘れず田舎者でもこんだけやれるっていうところを見せれるように頑張ります。


2016年10月21日金曜日

最幸の同期 最好の後輩 最高のチーム




「最幸の同期 最好の後輩 最高のチーム」



4年 八谷惇希



はじめまして。



今回の部員ブログを担当します、ゴールキーパー兼寮長4年の八谷惇希です。

ピッチ内ではゴールを、ピッチ外では寮を守る、いわば番人的な存在です。

私が4年間で感じた明治大学体育会サッカー部の『想い』を、声に出して伝えるのは恥ずかしいので、部員ブログを通して皆さんにお伝えしたいと思います。

 

 

明治大学体育会サッカー部に入部し、「16人部屋なんて…」と嘆いていた若かりし入寮当初から、あっという間に「もうすぐ引退か…」という時期まで迫って参りました。

この4年間で一回りも二回りも成長したと実感できるくらい、1日1日がとても刺激的な毎日であったことに間違いはありません

 

 

特に同期にはとてつもない感謝をしています。

下級生時の仕事やミーティングにて本気で自分を怒って成長させてくれた同期、真剣に本音で語り合って追求してきたミーティング、4年時の天皇杯予選敗退後に泣きながら話し合った同期だけのミーティング、毎晩全員で入った合宿時の露天風呂、同期との思い出は話すときりがないです。

また、1つ1つの思い出がかけがえのないものであるとともに、自分を一番成長させてくれる時間でもありました。

こんなにも素晴らしい同期と出会えた自分は本当に幸せです。

 

 

同期だけでなく後輩にも多大なる感謝をしています。

私の無駄絡みに付き合ってくれる16人部屋の後輩たち、無茶ぶりに対応し汚れ役を演じて爆笑を生み出してくれる1年生、クセの強い代だがとてもいじりがいと可愛げのある2年生、私のことをいじって美味しくしてくれる少し生意気な3年生、私と拓也のつまらないボケやノリに少しでも反応して笑ってくれる後輩たちが本当に大好きです。

寮内外の楽しい時間は後輩たちなしでは語ることはできません。

 

 

また、私を本気で叱り、大きく成長させてくれた偉大なる先輩の方々。

ここで様々なエピソードや思い出などを文章にすると、あまりにも長くなってしまうので割愛させていただきますが、本当に感謝してもしきれない存在です。

 

 

話は大きく変わりますが、『明治大学体育会サッカー部』は上を目指し、真の日本一になるため日々精進しております。

それが結果となって出たのが、総理大臣杯創部初の優勝です。4年生だけがチームを引っ張るのではなく全部員がそういった意識を持ち、各学年の役割、個人の役割をきちんと全うした結果が日本一になった要因です。

た、それを全部員が忠実にやり続けたことが、関東大学サッカーリーグ戦優勝をもたらしたと確信しています。

 

 

最後になりますが、こんなにも最高のチームを私は一生語り継いでいきたいです。

馴れ合いチームなんて言われないためには結果を出して証明するしかないと考えます。

「目指すは3冠」。リーグ戦も残りわずかとなりましたが、インカレ優勝に向けて長いようで短い、あっという間の2カ月を私たち明治大学体育会サッカー部は突っ走っていきます。

 

 

稚拙な文章ではありましたが、最後まで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

これからも明治大学体育会サッカー部の熱いご声援を宜しくお願い致します。





2016年10月18日火曜日

八幡山の戦士



「八幡山の戦士」
2年 篠原力




 八幡山には戦士がいる。


 八幡山とは東京都の世田谷区に位置する町で、20号と環八と呼ばれる大きな道路が交わる場所だ。八幡山に山はない。あるのは学生が多く住む住宅街と安くて美味しいご飯屋、飲み屋。

それから明治大学のサッカー部寮がある。
寮のすぐ横にはグラウンドがあって、ここで戦士たちは日々鍛錬を行なっている。 



 ここはいわゆる戦士育成所としてはとても恵まれた環境である。グラウンドは人工芝でトレーニングルームもある。
寮では1日3回の食事が約束されていて、24時間365日気兼ねなくサッカーに打ち込めるわけだ。
ただし、この寮については少々完璧とは言い切れない部分もある。
例えば、部屋と呼べるような空間は1人あたりぴったりシングルベッドひとつ分程しか許されていない。いたるところの窓や壁は段ボールとガムテープの助けを借りてやっと役をなしている。それでも戦士たちはこの寮を愛している。廊下や食堂の床が素足では歩けないような状態であることも、ムシやネズミとの共存を余儀なくされることも、戦士たちにとっては本当に少々のことなのだ。
彼らは寮をより住みよいものにしようと独自のルールを作り、実に工夫を凝らして暮らしている。むしろ戦士たちはこれらの要因すらも糧にしてしまう。



 こう言うと戦士とは生真面目なものに思われるかもしれないが、実際のところ普通の人間である。戦士たちはよく遊ぶし、学校の単位が取れたか取れてないかを気にするし、恋愛のことで一喜一憂したりもする。流行に敏感で、オシャレに決めて出かけるのも好きだ。それから戦士たちは風呂が好きである。平均して常人の1.5〜2倍の回数は風呂に入っている。月に数回はお金を出して町の風呂屋にも行く。
しかし戦士たちは、これらのどの時間よりもボールを蹴り追いかけている時間の方が至極幸せであることを心のうちで分かっている。



 八幡山の戦士になるのは容易なことではない。ただ厳しい日々の鍛錬をこなしたからといってなれるわけでもない。戦士になるということは、その壮大な歴史の重みを背負うということである。
日々の中で、礼節を学び、思いやりと謙虚さを学び、何よりチームのために何ができるかを考えさせられる。
これらは全て戦士の器量として求められるもので、しかもこれらは全て、上から下へ、戦士から戦士へ、という形で受け継がれる。

ここが一番重要なところである。

戦士が戦士を生み出す、これが明大サッカー部が積み重ねてきた伝統なのだ。



 監督やコーチはよく明大サッカー部の歴史についてを語る。今までの戦績、記録、どんな人がいたか、どんな人がこのチームを作ったか、どうやって今のサッカー部ができたか、を。
つまり、今自分たちが得ているものは全て、それまでの先輩方の遺産にほかならない。
八幡山の戦士ならば、それを受け止め次へと積み上げなければいけない。



2016年10月17日月曜日

GK



「GK」
2年 後藤大輝








今回は私のポジションであるゴールキーパーの歴史を紹介することにより、ゴールキーパーの役割の一部分を知って頂けたらと思います。

このサッカーの長い歴史の中で新たに作り出されたポジションもあれば消えたポジションもあります。その中で、ゴールキーパーはサッカーの規則が出来上がってきた当初から存在している唯一のポジションです。


当初は、相手のシュートを止めようとする時以外はゴールキーパーは大抵ゴールポストの間でプレーし移動も制限されていました。その後、プレーのルールが変化すると共に積極的な役割が求められるようになっていきました。ゴールキーパーは試合中に手でボールを扱える唯一のポジションです。最初の競技規則によると、ゴールキーパーはピッチの自陣であればどこでも手でボールを扱うことが許されていました。この規則は改訂され、ゴールキーパーが手を使うことができる範囲はペナルティーエリア内に制限されました。
その後、時間稼ぎの手段として横行する事から競技規則が改訂され、味方のフィールドプレイヤーが足でバックパスしたボールを手で扱うことが禁止されました。
このルールができたことにより、ゴールキーパーは足下でボールを扱うフィールドプレーヤー同等の能力が求められるようになってきたのです。


現代のサッカーでゴールキーパーからのビルドアップ能力はなくてはならないものになってきました。その中で固定観念に捉われるのではなく、柔軟な判断で積極的にプレーし明治の代表として活躍していきたいです。




『負けて得るものもあるが、勝てば人生が変わる』




『負けて得るものもあるが、勝てば人生が変わる』
2年 辻拓也
 





こんにちは。2年の辻拓也です。

 

私には昔からずっと心に残っている名言がある。

 

『生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと。』

 

私は今までずっと誰かに支えられながら生きてきた。家族、親戚、友達、先生、コーチや監督など数え切れない人に支えられて生きてきた。



それは今もそうで、一番迷惑をかけているのは大好きな家族だ。私は4人兄弟の末っ子で5歳上の姉、8歳上の兄と9歳上の兄がいる。3人ともサッカーをしておりその影響で私も気づけばサッカーをしていた。4兄弟ということもあり私のために我慢したり、親にわがままを言えないということもたくさんあったと思う。それでもいつも気にかけてくれて、みんな応援してくれている大好きな兄弟だ。

 

親も大好きなサッカーを好きなだけやらせてくれた。自転車、ヨット、ゴルフ、テニスと多趣味な父はしたいことがあったはずなのに、休みの日には送り迎えをしてくれていつも母と試合を見に来てくれた。そしてスパイクを買いに行くと、高いかっこいいスパイクを欲しいと言えずにずっと見ている私に「それ履いてみ〜、合うんやったらそれにせえや〜」「大事に使えな〜」と言って買ってくれたのを今でも覚えている。今思えば当たり前のことではなく、感謝してもきりがない。こうして今も大学へ行かせてもらって大好きなサッカーをさせてもらっている。これは自分の力ではなく家族をはじめとする沢山の人たちの支えのおかげだ。

 

私は今まで沢山の人に支えられてきた。これからは生きてゆかなければならない。そして、沢山の『借り』を返していかなければならない。この明治大学体育会サッカー部という素晴らしい組織で人間としてももっとたくましくなり、応援してくれている多くの人たちのために、明治のためにも重みのある紫紺魂を宿して早く試合に出て活躍したい。



2016年10月15日土曜日

ブレないことの大切さ




「ブレないことの大切さ」
 
4年 野田陸斗
 
私が小学校一年生でサッカーを始めて今年で16年になります。
この16年間サッカーをやってきて様々な経験をしてきましたが、この大学の4年間ほど苦しい時期はなく、色々考えたことはありませんでした。
下級生時代の仕事や三度の坊主、毎朝6時からの朝練など挙げればきりがないほどキツイことがあったなと感じます。
 
しかし、一番苦しいと感じたのはサッカーそのものでした。
明治はこれまでにないレベルの高いサッカーで、他の選手との差を毎日の練習で嫌というほど痛感させられました。
1年生の時は、毎週末の練習試合にも出られないことが当たり前。
練習でも自分の思うようなプレーができず、周りからも色々な事を言われてきました。
その為、ミスを恐れて消極的になって、それがさらに自分を後ろ向きにさせていたと感じます。
「今まで自分は小中高と何をやって、何を練習していたのだろうか?」と過去の自分を怨んだことも何度もありました。
 
しかし、そんな時期を過ごして
一つ一つの失敗やミスに「ブレない」大切さに気付かされました。
確かに、過去のミスを振り返って反省することは大切だと感じます。
でも、一つの失敗に固執して「あーいう風にプレーすればよかった」と思ったところで現状は何も変わらないと思います。
それよりも、そのことにいちいち一憂しないで前を向き続けること、
これが自分自身の成長に一番つながると私は思います。
 
今年、明治大学サッカー部は大阪の地で、総理大臣杯初優勝を果たし
残るリーグ戦も6年ぶりの優勝にあと一勝というところまで迫っています。
しかし、私自身プレーで貢献することができていないことにものすごく悔しさがあります。
何としてでも、今年の目標である「三冠」にプレーで貢献できるよう、
残り2か月間「ブレない心」で努力し続けたいと思います。

2016年10月11日火曜日

とにかく準備するのみ!

「とにかく準備するのみ!」




3年 櫻井 敬基

リーグ戦首位。10連勝中!
今現在の、この結果は明大サッカー部全員が一心となり、「準備」している結果だと思う。
試合当日や前日だけでなく、試合が終わったその時から、もう次の試合の準備が始まっている。
それぞれが、日々の練習、ミーティングを通して、個人の役割を全うする。
トップ、セカンド、何連勝しているとか関係なく、とにかく週末のリーグ戦に勝利すると言う目標に向け、ぶれずに毎日しっかりと準備しているのだ。
そして、試合になったら、それぞれの役割を全力で出しきる!
そこが、明治の素晴らしいところであり、武器だと思っている。
私も自分自身の力を100%発揮させ、チームに貢献するために毎日必死だ。
いつチャンスが来るか、わからないしどこで必要とされるかもわからない。
しかし、その瞬間がいつきてもいいように私は準備をし続けたいと思う。


そして、その「準備するさまざまな力」は、今だけにとどまらず、将来に於いてもきっと役立つ学びだと確信している。
私は、そんな信念を持ち今日も準備する!
今季、笑顔で終われるように……。

2016年10月10日月曜日

あと2つ


「あと2つ」

4年 丹羽詩温



こんにちは。四年の丹羽詩温です。

部員ブログを書くにあたり、明治大学でのこれまでの時間を振り返ってみると、サッカー、寮生活、仕事など、書ききれないほど濃密で貴重な経験をしてきたことを改めて感じました。
少し長くなりましたが、お時間許す時にでも読んでいただけたら嬉しいです。
   


高校3年時、2月2日の早朝に大阪から新幹線で東京に向かい、お昼過ぎに、無事に八幡山寮に到着しました。
その日から私の明治大学サッカー部での生活が始まりました。
今でこそ口に出して話すことが出来ますが、当時は初めての寮生活や、これまでにない高いレベルでのサッカー生活など、様々なことが不安で仕方なく、心の底からまだ東京に行きたくないと思っていたことを覚えています。
振り返ってみると、ここにも高校時の私の人間としての甘さ、ここぞというときに活躍できないメンタルの弱さが出ていたのかなと思います。
このような私に、お前の甘い部分を明治大学という厳しい環境で鍛えてこいと言っていただいた高校の恩師、そして明治大学進学という私の決断を尊重し、暖かく送り出してくれた家族には本当に感謝しています。


入寮すると、早速、次の日から練習が始まりました。練習初日から1年生は別メニュー、当時の私には厳しい走りのメニューが課されました。
走りのメニューをなかなかクリア出来なかったことで全体練習に合流させてもらえず、次の日の連絡に「別メニューの丹羽」と書かれたこと、全体練習合流後にあまりの走れなさに苛立った三浦さんに「それだったらカラーコーン持ってきた方がましじゃねえのか?」と言われたことを昨日のように思い出します。

1年目は年間を通じてセカンドチーム、ILや練習試合でもサブメンバーになることは少なくありませんでした。
2年時にはトップチームでシーズンをスタートしたものの、その年も年間を通じてILが主戦場でした。

下級生の頃はサッカーでなかなか思うような結果が出ないことに加えて、練習や試合の時間の他には「仕事」という役割があり、精神的にも肉体的にもこれまでにないストレスを感じていたと思います。


今思うと、本当に大変な毎日だったと思いますが、私は、毎日のように、私以上に色々な想いを持って私を東京へ送り出し、いつでも応援してくれる家族、帰省するたびに頑張らなあかんでと言ってお小遣いを包んでくれるおじいちゃんおばあちゃん、地元大阪から応援してくれる中学、高校の友達や、サッカー部の監督、コーチなど私を支えてくれている様々な人のことを頭に思い浮かべ、その感謝の気持ちをエネルギーに変えるようにして心を奮い立たせてきました。

このような時間を過ごすにつれて、それまで自分の夢のために頑張るんだ思っていた意識が、いつも支えてくれる、応援してくれる人達のために結果という形で恩返しがしたいという気持ちに変わりました。

3年の9月には、リーグ戦に初めて出場し、それ以来、トップチームのベンチメンバーが立ち位置となりましたが、その時にはそれまではあまり感じることが出来ていなかったスタンドにいるチームメイトからの熱い応援や、明治大学を応援し、支えてくださる大勢の人たちの存在を感じることが出来ました。
しかし、自分がスタメンで出場することが出来ていなかったことで、自分自身が選手としてチームに貢献した実感がなく悔しい思いをしていたのも事実です。

最終学年となった今シーズンは開幕からトップチームのスタメンとして試合に出させていただき、下級生の頃を思い返すと本当に夢のような時間を送っているように思います。
下級生の頃から試合に出場している選手からすれば、このような表現は少し大袈裟だと思われるかもしれませんが、私が試合に出場し、結果を残すことで、喜んでくれるたくさんの方々がいること、試合後に明治大学サッカー部を応援していただいてる方々と一緒に喜びを分かち合えることが本当に嬉しくて仕方ありません。

中でも夏の総理大臣杯で日本一になったときに、開催地である地元大阪で家族を初め、本当にたくさんの方々の声援を感じたこと、
八幡山で練習し、決勝戦には大阪まで応援に来てくれた大好きなチームメイトと明治大学を応援していただいているたくさんの人達と優勝を分かち合えたことは本当に嬉しかったです。
そして、部員みんなでチャンピオーネをしたあの時間が本当に幸せで、忘れられません。

日本一になりたい、試合に出て活躍したい、入部当初にあった漠然とした思いは、応援していたたいてる人たち、そして明治大学サッカー部のためだという明確な思いに変わりました。

残すところ、2ヶ月、2つのタイトル。
リーグ戦、インカレ。
明治大学サッカー部、そして明治大学サッカー部を応援していただいいているたくさんの方々と一心となって、「あと2つ」、あの時以上の感動と共にみんなでチャンピオーネをしよう。

2016年10月1日土曜日

全ての人への感謝と恩返し

「全ての人への感謝と恩返し」

1年 佐藤 亮





私は物心がついたときからサッカーがいつもそばにあった。父の影響で始めたサッカーが、まさかこんなに長く続くとは当時思っていなかった。それでも私はサッカーというものを心から楽しんでいた。兄と公園でサッカーをするのが当時の過ごし方だった。

そんな私も今では大学生となったが、ここまでくるのにいったい何人と関わってきただろうか。そして、どれほどの人に支えられてきただろうか。

特に家族には計り知れないほど支えられ、そして迷惑をかけてきた。
父は、平日に仕事をし、週末になれば欠かさず試合に来てくれた。疲れているのにそんな顔は見せず、どんな場所にも応援しに来てくれた。母は、毎日ご飯を作り、仕事にも行き家事もこなしてくれた。そして週末は絶対に試合に来てくれた。兄は、いつも自分のことより先に私のことを考えアドバイスをしてくれたり、時には厳しく叱ってくれたり、常に私のサッカーを全力で応援してくれた。姉は、両親が週末私の試合を観に来てくれるがために、週末の家族との時間が減ってしまったことを本当は寂しかったり悲しくて言いたいはずなのに、嫌な顔ひとつせず見守ってくれた。
そんな温かい家族が私のそばにいてくれるおかげで今日までくることができた。

また、家族だけでなく、友達や学校の先生、今までお世話になってきたサッカーチームの監督やコーチ、サポーターの皆さんがいてくれたからこそ私は頑張ってこれた。
だからこそ、私の将来の夢である「プロサッカー選手になって世界へ行く」というのは、みんなのためであり、みんなの夢だと思っている。そして私をこれまで支えてくれた全ての人のためにこの夢を叶えたいし、叶えなければいけないと思っている。私には本当にたくさんの支えがあり、それこそが私の原動力になっている。

この明治大学でさらなる成長を遂げて、卒業後には必ずプロサッカー選手になって活躍し、全ての人への感謝と恩返しをしたい。どんな困難があっても、常にそういった人たちがいることを忘れることなく前に前に進んでいきたい。

これからも色々な面でお世話になると思いますが、応援される選手になるため頑張っていきますので、よろしくお願い致します。

拝読ありがとうございました。